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体のお掃除。

3か月の山旅から帰ってはやひと月 旅中はイロイロ食した 普段はいただかなかったけど、今だけは、の一期一会の人たち
乳製品、そして山の食べ物はネギ類も多かった
厳しい環境では食べ物の意味が違ってくる そしてもちろん質も
高度4000メートルの場所では、精製バターは体の潤滑油だし、食さなければ皮膚がひび割れる
ネギ類は血管を拡げ、高度では滞りがちな血流を良くして体を温める

概念と理念はきっとマインドのもので 体は必要なものを知っている

そして
リシケシに帰っても同じような食習慣でダラダラいたら、今度は逆作用・・・

この場所ではわしの体が必要ないと思っているものを、舌が味を覚えているので食していたら、
なんだーか心が不安定に

ギーはともかくとして
乳製品と書いてアイスクリームと読む 50Rsのマンゴーチョコがけマンゴーアイスの罠にはまり
甘みが出るので玉ねぎでカレーのベースづくり 
そしたら瞑想の時に、しゅっとすっきり落ち着かない・・・
何か理由があれば安心するのを、食事のせいにしているだけかもしれないけど、インドの平地のお寺の方たちが五葷を食さないのはやはり訳があるのでは、と思いました
毒出し、と思って肝臓にひまし油貼布をしたら、翌日のおトイレが玉ねぎ臭で一杯だったこともあり、これはきっとそのせい、と結論付けた次第。4、5日玉ねぎ食べてなかったのに!
旅の前は、玉ねぎの入ったカレー食べると強いなあ、と思っていたけど、旅の途中からは単純に美味しいなあ、と思うように。味覚不思議。
なので、繊細さと書いて体のもとある認識能力を取り戻すべく、精進中。

木の机の上にある不思議な野菜は、菱の実。ゆでたり蒸したりが普通だけど、そのまま焼いてみました。栗と蕪とサツマイモ、そしてカスタードプリンの味。

インド人がブレないのは。

インドの人は人の顔を覚えるのがとても得意 そして目がよい(夜目もきく) 街中でも 花火大会並の混雑でも「やあ!」と遠くからやってくる

道を歩いていたら、ゆっくりと止まって笑顔で手を振る人 おお、よくお世話になっていたバイクやさん

道の拡張工事に伴いお店を破壊(クレーン車でザックリ掘られてた)された後、別のところで店を出したと聞いていたが

3年ぶりか、よく覚えていてくれたなあ!こういう瞬間はとても嬉しい

ひとしきりおしゃべりそして話はコロナ株の新型の話へ インド、リシケシではまだそんなに聞いてないけど 彼曰く「よく食べて、よく寝て、お祈りして、そして何より早起きをしてれば問題ない」と、力強く言い切った。かれはバイクやさんのお兄ちゃんだけど、朝4時に起き真言を唱えながらて10キロ散歩、後お風呂、ご飯、仕事だそうだ。

そういえばインド人はみんな早起きだもんなあ。言い切る強さ、自分への自信はそのあたりから来てるのだろう、と思いました。朝日、暁光を浴びること。きっと大切。

夕日だけど。

断捨離。

知らない間に荷物が増えていたので、断捨離を始める。日本から移住するときに思い出として持ってきたものは、いままであらかた出番がない。ブーツとか、ジャケットとか、子供の頃の産着とか。

インドはありがたいことに、どうしたらよいかわからないものも誰かが貰ってくれる。ガンジス川の側にいろいろ置いておくと、必要なものは必要な人のところに届くみたい。良いシステムだなあと思う。あとものをあげる側も貰う側も、その受け渡しが終了すれば、「あげたからどう」とか「もらったからどう」とかいう期待のやりとり、心の重荷が少ない。あげる人は、あげることができて、あげたいからあげる。貰う人は、貰う必要があるから貰う。だから断ったりもする。もしくはもっと呉と言ったりもする。いずれにしても慣れると楽。

でもそんなに使わないけど価値のあるものは、断捨離としても手放したくないなあと思ってしまう。例えば重箱。2008年の渡印以来一回しか使っていない。お正月は揚げパンのプーリーを揚げていたよ。そして天啓、友人にお重の話をしたところ、「なぜ正月だけに使うのか?」と。だってお重だもの。下段には煮染め、上段には黒豆なんかを入れるのだもの。

「これでカレー食べたらかっこよくね?」

お重の国の人でない人には、重箱は赤と黒のつるつるした四角い箱。お正月も関係ない。普段使いしかもカレーを入れるというアイデアを発話するのに、躊躇さえない。

まさに目から鱗の、衝撃の重箱活用法。初めてカレーを盛りつけるときは冒涜の念さえわき上がったが、存外これがなかなか良い。匂いも色も移らないしね。大切にしたいものはどんどん使うと、ありがたみがましたのでした。そうやって生きていこうと思った。

お重でカレーを手食した日本人は、ワシが初めてじゃなかろか。写真にはスプーン付いとるけれども。玄米とほうれん草カレー、色合いもよし。

帰リシケシ。

ちょいと前に帰っていたのだけど掃除に次ぐ掃除、洗濯に次ぐ洗濯。モンスーンを舐めてはいなかったけど読みが甘かったらしい。よもやお箸がカビているとは思いませんでしたよ。北インドのンスーンに家を3ヶ月空ける時は、木や本や服、普段は乾燥している有機物の様々を、スチール製の箱バクサー、スチール戸棚のアルミラ、またはベッドの下(あれば)の収納スペースに入れておくことをお勧めします。そこならカビない、はず。

帰ってきてまずしたことは発酵を再開すること。発酵ドリンク2種と漬け物、テンペを作成。発酵ドリンクのひとり縄文菌は、今回の旅を共にしたので、ヒマラヤからの何者かも混ざっているはず、ますますありがたい飲み物になります。テンペは、一度でテンペと納豆と酢大豆が出来た。危険な香りだけど、加熱して食すので良し。

帰ってきたら全く持って以前の生活にもどり、旅は思い出、夢と同等になったのだが人々の笑顔を覚えている。そして誰かの記憶の中でワシが笑顔であることは、生きていて出来る最善のことの一つだと思う。

山で飲めていたチャイが、降りてきたら飲めなくなった。体は要るものと要らないものをよく知っているみたい。フフフ

やっぱりええなあ

スピティの写真。